ある意味私は自分の主張や価値観ははっきりしている方です。
でも、認識の誤りには、拘泥せずに改めます。
内面にはいろいろなものが詰まっています。
人への憎しみと、人への希望。
さて、でも小説にするならどういうふうに料理すればいいのか。
読み手を意識することは大事なこと。
自分語りでは小説ではない(持論)。
あと、阿るのものにしたくないというか、できない。
私の書きたいことを書くにはどういう物語にすればいいのか。
私は理詰めの小説は書きたくない。
(ただし思想小説は書きたい)
ほら、小説を書くって、ものすごく難しいことでしょう?
前ページのようなことを自伝的に書いたって欠片も面白くはならないよ。
でも書きたいのはそうやって形成された私。
そこでまた、芥川を思う。
小説は面白くなくてはいけない。
自分に酔ったようなことを書きたくもない。
(もう自分に酔うような感性は持っていないけど。ただの認識)
そうするとね、人類を描くようなものになりそうなのよね。
処女作にすべてが現れるというのが本当なら、ネアンデルタール人に理想の人類を見出した最初の論文みたいな作品がやはりそれなのよね。
でも、あくまで現代(あるいは近未来)で書きたいのよね。
まだストーリーは出てこない。
ここで書いているのはストーリーにたどり着く自己内対話ですね。
優しい話は書きたくないけど、自己犠牲は書きたい。
楽しく喜ばしいことは書きたくないけど、悲惨極まりないことも書きたくない。
まあ、でもさ、物心ついた頃から家をでるまで一日たりとも自殺を考えなかったことがない自分は今思うとふつうではなかったよね。
人が楽しみたいとか、幸せになりたいとか、ましてや人に嫉妬したりはりあったりする感情も私は理解できないし。
ただ、著しい自己肯定感の低さと、それでも生きるために必要だったつっぱり。
あ、こういうところから入るとちょっと何か見えてくるかな。
でも、小説は虚構で真実を語るもの。
かつ、直截な心理描写とかではなく、全体を通じて訴えるもの。
あと、あくまで持論だけど、答えより問いかけ。
それが理想で、それに近づきたい。
……短編では無理だな。