ただの独語①悲しくて泣いたこと、ほとんどない。

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私は生い立ちのせいか、性格のせいか、悲しくて泣いたことってほとんどない。
大体が悔しさや憤りの涙だ。

そういうことを短編にしたいと思うので、ちょっと書いてみる。

憎しみや怒り、憤りの涙。それを覆すことの出来ない悔しさの涙。

愚痴っぽくはしたくないけど、親・家族は私にとって地獄だったから、悲しいという感情は封じ込めるしかなかった。
大体が私は「わがまま」を言ったことはほとんどない。

なのに、なぜか母親からも妹からも「わがまま」と烙印されてきた。
妹は自我が弱いというか歪んでいたので、あいつらグルだったんだよな、と今は思う。
まあ、私は我は強かったので(これは父方の祖母の隔世遺伝だと思う)、それが気に入らなかったんでしょう。
妹は家から出ていくこともできないくらい、私とは比べ物にならないくらい「親」との絆は強かった。

私は今になっても、親に親だという感情は持っていない。
父のことも「好き」だと思っていたけれど、亡くなって3年。さして好きでもなかったと思う。
ただ、いろいろな癖とか容姿とか、体の弱い部分とかは似ている。

私は遺伝というものの強さを年が行くほどに意識するようになったが、なぜか自分は両親のどちらにも、気性も価値観も似ていないと思う。
この歳になって、親への反抗心などないから、冷静に考えて、やっぱり似ていない。

両親にあるような親兄弟への思いのようなものも自分にはない。

一人だったし、孤独だった。

かつ、自分でいうのもなんだが、ずば抜けて学校時代の成績はよかったので、親戚なんかからもさんざん嫉妬に曝されてきた。子供の頃から大人に甘えることはないばかりかほとんど皆「敵」だった。
教師もそう。今考えれば、明らかに自分より賢い子をかわいく思うはずがない。それに私は甘えるとか懐くとかができなかったし。
ごく自然に、教師も信用したことはない。

いずれもこちらから仕掛けたことはない。
でも一方的に憎まれた。

こういう人、私みたいな人も多いとは思うけど、そうでない人も多いことを大人になって、あの家を出て知った。

どこかで羨ましいとは思っている。
だって、若い頃は仲の良い親子やきょうだいは見るだけでたまらなかった。
今でも羨ましい気持ちは湧く。でも、共感はしない。そうなりたいとも思わない。

自分には縁のなかったことで、それで今の自分があるから。

話が逸れていっているが、幼少時からの愚痴を言いたいわけでなく、そういう育ち方をしたというのは間違いない事実だと、時が経つほどに思う。

それが今の私を形成している。

別にそれでよかったと思う。

私は私の人生を手に入れているのだから。

でも若い頃、悲しくてとか、寂しくて泣いたことはない。

そういうのもいいじゃないかと思う。

今の私はある意味自由だ。
何もかもダメになったら死ねばいいだけだし。

ただ、今のところは長年にわたって苦しんだ経験があるので、悔しいから長生きしたい。
もちろん健康寿命で。
もっと書きたいことがあるんだ。

主人公は健全ではないものもなる?
意外とそうでもない。
人嫌いだった私も、人類については楽観している。

どんなに残虐な歴史や現代の悲惨を見ても、人類は好きだ。

ドストエフスキー(だったと思うが)、「人類全体を愛せるか」という命題なら、私は是と思う。
個々の人間はそれぞれ。

そんなものじゃない?

結局私は自分にしか書けないもの、しか書けない。
恋愛よりも友情が大事。
そこに人類の光を見いだす。

徒然なるままに書きました。