新刊書店は何を間違えたのか。

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今新刊書店の経営破綻、閉店が相次いでいる。それは非常に残念なことではあるけれど、私は止むをえないのではないかとも思っている。

日本の出版業界・流通システムが時代に合わなくなったということもあるだろう。

業界の人間ではないから、伝え聞く話を、そういうこともあるのかと知識として仕入れているだけである。

ただ、子供時代から本屋に入り浸っていた経歴を持つ自分からしたら、田舎の街の本屋で我慢していた時代から、都会の大規模書店まで自由に行けるようになったにもかかわらず、本屋の魅力はどんどん薄れていく一方だったことを告白しないわけにいかない。

先日、学生時代に慣れ親しんだ「あゆみブックス」(現:書肆文禄堂)が9月16日をもって閉店するというニュースを見て、我慢できずにかの地を訪れた。

「あゆみブックス」は中堅の新刊書店でありながらも、ふらりと入ると何かの発見がある楽しい書店だというのが、何十年も前に入り浸っていたときの印象だった。だが今回訪れて、残念ながらその魅力はとうに失われてしまっていたのだと思わざるを得なかった。

奥の方の文庫本の棚が腰ほどの高さになり、かがみながら決して広くない並ぶ本を回って眺めるような仕様になっていた。

確かに本棚の高さを下げたことで空間に開放感はできたかもしれない。だが、そういうのはうわべだけのおしゃれさに過ぎないと、私は思う。一体どれだけの本屋が、本好きの心をくすぐるよりも見かけのおしゃれさを追求しては消えていったか。

私が本屋が好きだったのは、何よりも林立する高い本棚を上から下へ、右から左へ、なめるように一冊一冊の本の背表紙を探すあの喜びにあった。

ゆっくり机で選べるとか、併設のカフェで読めるとか、そんなことはどうでもよかった。がたがたに足が疲れても、まだまだ知らない本がずらりと並んでいるのを眺めていく快感には遠く及ばないことだった。

「あゆみブックス」は、思い返せば私が人生でいちばん馴染んで通い詰めた本屋だった。でも、やはり大きな流れには逆らえなかったのだろうか。

本音を言う。今、「本屋」なら、「ブックオフ」のような新古書店を眺めるのがずっと面白いのだ。何が出てくるかの予想のつかなさ、本棚をなめるように見る喜び。

新刊書店は何を間違ったのか?